「最長片道切符の旅」(宮脇俊三著)が好きで、このルートを「たどる旅」を始めました。
昭和53(1978)年、45年前のトレースです。
今回は九州地区の2回目です。前回は北九州から回って佐賀へ行って、鹿児島本線の瀬高で終わりました。今回はその続きです。
最後は鉄道がなく、その代替交通も見つからず、苦戦しました。
天候にも恵まれず、2日目の午前、そして4日目の午後から5日目にかけて雨に降られてしまいました。
めずらしく、飛行機で九州入りです。
羽田空港では、保安検査場を待たずに通過。すいていました。
福岡空港で昼食のあと、地下鉄で博多駅へ。博多からJRに乗って鳥栖で八代行に乗り換えです。
今回の「たどる旅」は、瀬高からのスタートになります。
一度降りてみようかと思ったのですが、そのまま乗り続けて熊本に到着。
泊まったホテルの部屋は23階。熊本城がよく見えました。
#乗車記録#
航空機 :
羽田空港11:00~12:55(10分遅れ)
福岡空港
福岡地下鉄 :
福岡空港13:44~13:50
博多
鹿児島本線 :
博多14:27~15:08
鳥栖15:09~15:35
瀬高
ここから「たどる旅」開始です
鹿児島本線 :
瀬高15:35~16:44
熊本(泊)
熊本の朝は本降りの雨。電車は8分遅れで出発しました。
スイッチバックの駅、立野で降りましたが霧が立ち込めています。
着いた時は線路脇にいても車両がほとんど見えませんでしたが、2時間以上待ってなんとか撮ることができました。
宮地、豊後竹田と乗り継いで、竹中というところで下車。すっかり晴れました。ここで高いところから鉄橋を渡る列車を撮影しました。
きょうの宿泊場所は、大分です。
#乗車記録#
豊肥本線 :
熊本8:15(8分遅れ)~8:55(2分遅れ)
肥後大津8:57(2分遅れ)~9:13
立野(撮影)12:05~12:41
宮地13:08~13:52
豊後竹田13:55
竹中(撮影)15:55~16:20
大分(泊)
朝からよく晴れています。
大分から佐伯行に乗って40分、下ノ江で降りました。
この場所、木が伸びて、しかも日陰があります。あまりよくありません。しかし、偶然にも貨物列車を銀色のEF510-301号機がひいてきました。これには満足です。
佐伯から延岡まで行く普通列車は、早朝1本しかありません。そこで、この区間だけ特急で移動しました。
延岡からは宮崎空港行に乗って南宮崎まで行き、大淀川を渡る列車を撮影。きょうはこれで終了です。
宮崎駅まで歩いて、ホテルにチェックインしました。
#乗車記録#
日豊本線 :
大分9:15~9:52
下ノ江(撮影)12:10~12:56
佐伯13:08~14:07
延岡14:28~16:04
宮崎
「たどる旅」中断です
日豊本線 :
宮崎16:04~16:09
南宮崎
徒歩 :
南宮崎(撮影)~
宮崎(泊)
きょうのスタートは日南線です。まず油津行に乗りました。
油津の駅は、広島カープのキャンプ地ということで真っ赤です。
雨がぽつぽつ降り出しました。
終点の志布志に到着。近くの鉄道記念公園を見学。蒸気機関車C58が保存されていました。志布志からは旧大隅線に沿ったバスが見つからないため、国分に直接行きました。
国分からは日豊本線で都城。本降りの雨です。そして宮崎まで戻りました。
#乗車記録#
日南線 :
宮崎9:10~10:31
油津11:07~12:18
志布志
旧大隅線 : 代替バス「鹿児島交通」
志布志駅前13:59~15:25(5分遅れ)
国分駅入口
日豊本線 :
国分16:08~16:55
都城
「たどる旅」中断です
日豊本線 :
都城17:39~18:28
宮崎(泊)
本来の「たどる旅」は、都城から吉都線で吉松まで行って、そのあと肥薩線で人吉を経由して八代まで行くルートです
しかし、肥薩線が豪雨災害で吉松から八代まで不通のまま。その代替交通手段がありません。
そこで、宮崎から新八代までの高速バスを使って、その代替ルートとすることにしました。
バスはほぼ満席。宮崎から2時間半で新八代に着きました。ほとんどの人が新幹線に乗り込みます。
新八代を11:30に乗車。新大阪で乗り継いで、東京には18:12に到着しました。6時間40分の新幹線の旅でした。
#乗車記録#
吉都線、肥薩線 : 代替バス「B&Sみやざき号」
宮崎駅8:43~11:13
新八代駅
「たどる旅」終了です
九州新幹線、山陽新幹線 :
新八代11:30~14:59
新大阪
東海道新幹線 :
新大阪15:18~18:12
東京